
最終更新日 2025年5月19日
「星野仙一さんの人柄に興味がある」
「星野仙一ってどんな経歴を持っているのか知りたい」
「星野仙一さんの監督時代の実績が気になる」
プロ野球の良いプレーと面白かったり変わったプレーをまとめて放送するプロ野球好珍プレーによく出演していた人の一人が、星野仙一です。
中日の投手で大活躍していましたし、その後は中日や阪神、楽天の監督としても活躍されていました。
ずっとプロ野球に関わっていましたし、ずっと表舞台に出ていたこともあってかなり有名ではないでしょうか。
中日の選手として活躍されていたことは有名ですが、本当は巨人に入りたかったと言うことまで知っているでしょうか。
元々は、巨人に入りたかったですし、巨人に入団する直前まで行っていたと言われています。
巨人に入ることを熱望していたわけですし、すんなり巨人に入団してしまうと思いきやそうはなりませんでした。
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目次
巨人は他の高校生の投手をドラフトで1位指名
巨人は他の高校生の投手をドラフトで1位指名したからです。
星野仙一は明治大学に進学しており、大学野球で大活躍していたにもかかわらずです。
結局、中日が1位指名してそのまま中日に入団することになりました。
このような経緯があったこともあってか、中日に入団後は打倒巨人で闘志を燃やしました。
新人ながらも8勝をあげるほどの大活躍をします。
しかも、2年目には10勝をあげました。
順調に投手として活躍したこともあってか、3年目には背番号を中日のエースナンバーである20にします。
それだけの実績がありましたし、中日側としてもエースとしてこれからも活躍して欲しいと言うことがあったのでしょう。
1973年には16勝あげた
順風満帆なプロ野球人生がずっと続いていくと言ったのかと言えば、そうではありませんでした。
1971年からは右肘痛に苦しんだこともあって二桁勝利には届かない年もありました。
凄いのはここからで、1973年には16勝あげたことです。
その翌年は、先発だけではなくリリーフとしても活躍して因縁の巨人のV10を阻止しました。
14年間の現役生活の成績は、146勝121敗34セーブでした。
特に注目したいのは、やはり因縁の巨人戦の結果です。
35勝31敗と言うことで、しっかりと勝ち越しています。
この時代は、巨人がV9を達成していることを考えるとこの数字は立派な数字と言っても良いでしょう。
パリーグで2年連続三冠王になった落合博満を獲得
現役を引退した後は、古巣である中日の監督を務めます。
監督に就任するとパリーグで2年連続三冠王になった落合博満を獲得しました。
落合博満を取ったこともあったのか、就任して2年目にはリーグ優勝しました。
その後1991年に一度、中日の監督を退きましたが、1996年に監督として復帰します。
1999年にリーグ優勝しますが、日本一にはなれませんでした。
その後は、野村克也が監督を辞めた阪神の監督に就任します。
ずっと低迷していた阪神のテコ入れを大胆に行いました。
就任2年目に24人もの選手を放出して広島で活躍していた金本知憲や下柳剛などを獲得します。
大胆な選手の入れ替えのおかげもあってかリーグ優勝を果たしましたが、持病の高血圧が悪化したために日本シリーズ後に退任しました。
北京冬季五輪の日本代表の監督を務めた
北京冬季五輪の日本代表の監督を務めたこともありました。
金メダルを目指して戦ったわけですが、蓋を開けてみると結果は4位でした。
金メダルどころかメダルすら取ることができなかったのです。
2011年は東日本大震災があった年ですが、星野仙一は楽天の監督に就任します。
元メジャーリーガーの松井稼頭央や岩本明憲を獲得したものの1年目は5位でした。
翌年は、4位となり徐々に順位を上げていきます。
そして、エースの田中将大がペナントレースを無敗で乗り切るとリーグ優勝します。
そして、星野仙一の因縁の巨人との日本シリーズを戦ってとうとう日本一になりました。
プロ野球好珍プレーのイメージが強い人も多い
プロ野球好珍プレーでは、中日時代によく怒ることがあったこともあってよく登場していました。
このため、プロ野球好珍プレーのイメージが強い人も多いのではないでしょうか。
当時は乱闘が起こることもあって、特に目立った存在だったと言っても良いでしょう。
単に面白いだけでは毎年のようにプロ野球好珍プレーに登上することはなかったのではありませんか。
やはり、華々しい実績があったからこそよく取り上げられたのでしょう。
プロ野球に特に興味を持っていない人も知っている人が多いのも頷けます。
これだけの実績があったこともあって、プロ野球中継の解説者などももちろん務めていました。
饒舌なこともあって、解説者としても大活躍しました。
現役時代はもちろんですが、現役引退した後も監督としてもそうですが、解説者も務めており、ずっとプロ野球に携わっていたことがわかります。
まとめ
残念ながら、すでに星野仙一はこの世を去っています。
プロ野球界にとって欠かせない人物と言っても良いほどの人物です。
70歳でこの世を去っており、まだまだ活躍できると思われていた矢先のことでした。
もちろん、素晴らしい選手であり監督でもありましたから追悼番組も放送されました。
これほど見応えのあるプロ野球選手はなかなか出てこないでしょう。